木さんの連絡網

予想外に早く移動の時がやってきた 

決めたのは自分だけど、もうちょっとこの土地にいる予定だった 今回は物理的に引き剥がされるよう。

この窓からの眺めが好き。

木の葉っぱはイルミネーションみたいにレースみたいにスカートみたいに 風は目に見えないのにフワフワ、フワフワ、

木さんに恋をしていたのです。

離れるのが名残惜しい、今回はこうやって移動を決めました。もうちょっと私に力があったなら。

今候補地の先にも木さんたちがいて、どうか連絡網で私のことを伝えて欲しいなとお願いしてたんだけど、どうやら今の所は伝わってないようで、、

私は次にどこへ行くのかわからない状態。


制作の時もそうだけど、アイデアがないことが1番辛い。


ただの流れに乗るだけで今はいいのか

水は黒いし

人は多いし

木さんに電線があるし

出かけるわけじゃないし

この土地で学ぶことに決着ついてるではないか。

いろんな理由をつけて、ここと、決別をかためていくのです 

名残惜しい、介護士のときもその単語でもって、心と人のバランスを保ってる


やり切るより名残惜しい気持ちを置いてく方がちょうどいい、はず。


木さん、また会いにくるね

またここに来たい たぶん、それがないことを知ってるから今回は辛い。


お別れです。


ここ数日違和感でしかない

自分の出身惑星を知ろう!っというあるトピックをみてから、

そうか私も惑星がちがうにちがいない、今まで自分でも知らなかった…!

とある文章をよんで、そう考えたらちょっと人と違う、変わってる、なじめない、違和感、など常日頃そして小さいころから持って離れない感情の色々の合点がいきました。

 

そして、人間でいること、ここにいること、両親、友達、周りのみんな、

あら、どこかに同じ星出身のひといるかなあ~、と私がわたしでいることに違和感。それから人間やこの星に繋いでいくことの使命をハッキリとさせる必要があるとかんがえています。くるしい…せめて仲間が欲しい…。

人が人として見えなくなってきた…。

 

たまにうっすら思うのだけど、さまざまな著名人で自害されたかたとか、耳切っちゃったりとか 病院にいかなきゃならなくなったとか、ときどきほんの時々、こんな感じ頭がパンクしそうになったりしたのかなあ、、と勝手な想像をする。

 

蜂さんへのお礼を考えよう

こんにちは こんばんは おはようございます

イカを追うイルカです。

 

今日は一日事務処理で終わってしまいました。

現実的な業務です。

考えていることを思いつきで書いていきます。

 

最も知りたいことがあるのだけどネット検索で見つけられないなうなんですが、

「蜂からはちみつ根こそぎもらうけど、人は蜂に何してあげてるの?」

そしてよく蜂について懸念されるのが、数が減ってきてて、植物の受粉が間に合わないよ~って実態。特にアーモンドは完全に蜂さんの受粉で作られているからかなり打撃になっているらしいですよ。それに、蜂がいなくなったら植物が少なくなっちゃうし、ほかの虫も近々に絶滅しちゃうかもって。どうせ日本の蜂は西洋蜂にやられて絶滅なのかなって思ったら意外とそうでもなかった~。養蜂ってやる人がふえたほうがいいのかなあ。

鹿は増えてるから食べたほうがいいとか、、

 

なんかよくわからないけど、

今日ふいに驚いたことが、

推し先輩がウルトラマンの宣伝ごとにめっきり宇宙人みたいになっちゃって、、

特に意識してなかったんだけど、去年の先輩の誕生日(8月)に『アミ、小さな宇宙人』の本を贈りつけていたんだった、と。

添えた手紙には「なんだかわからないけど工さんを見るとこの本を思いだします」

と、書いていましたね。

当時、そんな話してたのかなあ~と偶然なのかなあ~と、不思議な感覚なんですけども、、それはさ、私が先走ったのかもしれないけど、先輩からの電波がなかなか浸透力があるんじゃないかなっとも思えてますね。他にも喰らってる人々がいるんじゃないかって。あの本、手元にとどいたのかなあ…。あ、一緒に送ったコーヒーとバターの話は出てたはず…!きっと私のプレゼントだったにちがいない、、、

 

そう、推し先輩に手紙を書くときはほとんどニュートラル状態で綴っていて

その、ニュートラル状態のときってちょっと先のこと言ってしまうみたいで、これはこれから気を付けた方がいいかなって思って(なぜかというと、お前、知ってたくせに!って問題になるから)

私は脳みそや心からの言葉が咄嗟に出てこなかったり気持ちをうまく説明できなかったり、おおよそ少しセーブしながら話しているところがそういえばあって、それは足並みそろえるためなのかな。って自分の中では納得したことがあって、才能っちゃ才能なんだぜ、なんだけども。

私は、ウルトラマンって人間が変身した正義の味方だと思っていたのですよ、フォルムとか今まだ、良さはどこなのか探してもみつかりませぬ…(悲)。

 

そんなところかなあ~

 

あと、わたしもついついまあ許すかあ性格なんですが、気分を害する人とはもうどんどん切ったほうがいいなって思っています。切るってか割り切る。

しばらく心が弱っていたのでそんなこともできなかったのですが、

心の繋がりを大事にする蠍座(!)なので、恩とか人として、みたいな繋がりが持てない人は大嫌いなのです、忘れっぽい人と、ざっくりで気にしない人も嫌い。

最近怒ることが減ったなあ~と思って、思ってみたらお気に入りの人しか周りに寄せ付けなくなってた。それでも完全に頼れる人はいないんだけど、年のせいもあるかもしれないし、肉もほとんど食べなくなってたし、原因はわからないけど。

 

制作するものが心の中のものと繋がりやすくなってた最近の出来事かも。

 

友人の中には現実的ってか俗世にいる人たちもいて

嫌いではないけど、ついついその世界にいると、調子が悪くなる。それは体調が悪くなることではなくて、連鎖が起きてくるのですね、少しずつリズムがずれるというか

横道に外れるというか

何かが遠くなる

 

でも、その人といることは今世において幸せなのかもしれない気もする。

修行感がなくなるっていう、俗世に染まる感じ

みんなと一緒、何にも考えなくていいなあ~とか。寂しくもないし。

 

できれば一緒にいても、創造の世界が止まらない人がいいなあー。

夢うらない

何の気なしに書くけど読んでください。

お日様と風の感じが宝石みたいにキラキラして、お家から見える楠がゆらゆらなびくの

髪の毛がさらさらして美しい人みたい。

 

夢占い好き

ほんととんでもないこと起きるけど、予知夢というよりは、心情から現れる方が多いかなあと分析してる今日この頃のイカを追うイルカです。

昨日、幼馴染がでてきて、抱きしめてくれたんだけどホッとしたなあ。夢の中でも存在感は変わらないんだけど、今ならホッとする練習してもいいかな?って夢の中で思ってた。ちなみに夢占いで「抱きしめる」ワードを調べたらそのままの診断結果がでました。

最近そんなに気にしてなかったんだけど、夕方、久々に連絡が来て、(あら偶然)近々再会することに。。これは偶然だ。

 

人に対してあまり起こることがやがっかりすることや、わけわからんくなることが最近めっきり減ってしまったのだけど、

年をとったのかなあとか…

少しだけ、生き物として前進できてるのかなあ…と思いたいでするね。そもそも、自分の身の回りに自分が気に入ったもの、心穏やかになるものしかもう配置しないようにした手前、自分もなんだかそれに合わせていい人キャンペーンしてるし

やや、日々の小さなイライラはあるのだけども、衝動的になりそうなときは「6秒両爪を見つめる」をやっています。

だけど、ほんとにそうなのかな?って振り返ると穏やかでない自分が遠くの方にみえて、ちょっと寂しくなっている気も、する。ほんとはもっとわがまま言いたいんじゃないのかな、優しくしてーーーーーーーー!って叫んでるのかな

振り返って寂しくしている自分もやがて姿すら見えなくなるのが

この先の正解か

浄化の世の中の流れなのか

 

みんなでアセンションしていくって、覚醒している人の行動、知っている?

 

 

おもちゃのCHA-CHA-CHA


ラジオから聞こえたこのタイトルの言葉はそう、好きな人の行動って自分が休んでいるときは相手も休んでいてほしい(だろうと思っている)、だけど実は眠っているときに動き出すおもちゃのちゃちゃちゃ。例えうまい。。だけど違った!っていうときに悲しさだかさみしさだかある。

 

今日も推し先輩が元気で、制作活動できていたらよいなあ、、と思っています。

 

一人で制作していることも多いし、考え方に共感されることもほとんどないし

だれかが代弁してくれた音楽や、たまたまみつけたSNSの記事になんとか孤独を助けられているのだけど、そうするとだんだん電子機器をみることがおおくなってて、そして次に触ることも見ることもしんどくなる時間帯がやってきます。これいつも決まってやってくる。

それで何で満たされるかわからなくなって本出む読むかぁ、(物質に触れたくなる)となって読みかけのやつをちょうど開いて、いまなるほど心に響いているトピックがあるのでちょこっと書いておこうかなって思いましたイカを追うイルカです。

 

その本はまだ序盤でひらいた章には
「地球全体を一個の有機的生命体と考えると」ということが前提となると
人や生命体は地球の細胞と考えるとする…。
だから一人一人の行動は地球にかかわることなんだと。
共感する部分はあるのですぐに読み始められた。
よくないことはそれは風邪と一緒で毒だしをする期間が必然的にやってくるのである。
それは地球のタイミングで。さらに言えば地球を一つとした宇宙という生命体もあるのかなあ。
さらにその先…。


ひと段落して電子機器に戻ったら、AIについての記事に出くわしたので合わせてちょうど考えられたから書いておこうー。
その記事はインフォデミックという言葉から始まっていたのだけど。これは造語で、、
私は昭和の人なので写真を写真として見ていた期間もあるのだけど、
現像されたものは限られてるから残っていること以外に葬られた記憶がちゃんとある
逆をいうと現代は残されていく記録としての写真が多く忘却をできない環境が作られてて
忘却があるから生きていける部分もあるのにってことが書いてあり、
それはまた、ネット上に残していくことが我々の情報提供であり、またそれが世の中を作っていっていることである、と。思い出が情報提供…!
プロの情報もあっていることも偏ったことも何もかも同じ線上で情報が手元に近くに入りやすい状態であり
それはこの3年間の間にかなり進んでしまったのではないかと

地球を一個の有機的生命体と考えると
此のことってはたして地球にとっていいことなのか?
我々、人、動物も含め、細胞同士の意思伝達がこのようなかたちのシナプスで繋がっていく状態は進歩なのかしらと
ウイルスが蔓延した後には戦争が起きることが歴史的に決まった流れだとどこかで読んだ
それ以前にも戦争をずっとやっている地域もある これらは地球で言うところの毒だしなのかしら

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推し先輩が「建付け上、主役」の映画が公開になったー。
その前から自然にも不自然にも繰り返す言葉があってそれってその先をみてるのかなあ、って
不安になることがあるのだけども

その映画は公開が1年見送りになったり、誰もが大ヒットを予測できただろう配役や脚本や監督、
その上に呆れそうになるほどのプロモーション、、言わずもがなもとより多方面からのファンが大勢いただろうに
動員数は数日で100万人を超えて、いわばその数の人間と共通の話題ができるっていう状況
そんな中、作品の宣伝にかけて主役の人となりがフューチャーされて
これが


こうなることだったのか
それで、逆を言えばこう大きく拡散されることが決まっているものに載せて繰り返し広まってほしい言葉をつぶやきつづけたら
AIにそれを訴えていくことができるから、ちゃんと世の中を回していくことができるんじゃないかなって
ちゃんとした人が進んでいってくれれば、悪いことばかりのデジタルばかりじゃないのかなって

とかつってそんなこと関係なしに作品が作品として不安も全部かき消してくれるはず

そうこれは単なる偶然であり必然で、誰かが操ってるわけじゃなくて、地球が向かうところ、
ちゃんと生物が幸せになる方向に軌道修正して、


あの神田川がきれいになる日もきて


幸せな人があふれる日々になるんだって、、思いながら私も細胞の一部として生きて行くのだろう…と思っているのです。


…はあー笑。

そいえば、おもちゃみたいなネックレス作ったなぁ今日。

ヒューメリアンって言葉初めて知った

驚きました!

私の大好きな推し先輩が、テレビでヒューメリアンっていわれたことがあると言ってしまってました。次の日のワイドショーの記事になってしまうじゃないかってびっくりしました。

これは、あながち冗談じゃないわ。前から思っていたし、ハイブリットな感じは前々から思っていたけど、(以前知らずに推しレターに書いてしまったことがある!)

ヒューメリアンは第7感、テレパシー能力があるんですって

なんとなく同じ出来事がよくあるなあと思っていたらそういうことなんだったのか!と腑に落ちてしまったイルカです。

ファンの人は少なからずそういうことがあるのではないだろうか?、それともスコトーマ的ななんかなだけなのか、それとも共通点をわざと重ねてるだけなのかな?どんどん考え方がそろっていっている気がします。

 

目に見えないそれです。

 

もう宇宙人にしか見えないわ…。

気づいてしまったわよきっと今後あからさまに地場を変えてくる。彼らはやってくる。

 

 

Smileきいたら行きつく脳内イメージ

私は音楽家になりたかったのでした…!

 

ヒンデミット

「音楽が引き起こす反応は感情ではなくイメージ、即ち感情の記憶である。夢、記憶、音楽への反応…これら三つは同じもので出来ている。絵画、詩、彫刻、建築物…それらは音楽と対照的に、感情イメージを解き放たない。その代わり本物の感情に訴える。」(著書「作曲の世界」より)

 

残念ながらなれなかったのですが、微妙に備わってしまった音楽の「聴き方」を使って楽曲をききわけます。

テンションの使い方は理論勉強して挫折。やめるきっかけになりました…本物の音楽家はアナリーゼをよくしています…。

あと、「聞く」と「聴く」の違いは音楽問わず向き合ってほしい言葉。

 

雛が、初めてみたものを親と思う感じ?のように音楽から受けたイメージやその時の感情、場所、残りますよね…。

かの有名なSmile、ジャズスタンダードにもなっている曲ですが、その曲がどんなアレンジでかかっていても、私の脳内には思いだしてしまうバージョンが、サクソフォニストDAVID SANBORNバージョン。サックスを当時ならってみてただよく聞いていたっていうことだけ。そして木管楽器に分類されるサックスでこんなに金属音ぽくなるの?と不思議に思った音。きっとメタルのマウスピースなんだ。その音と一緒になぜか武田真治氏のサックス演奏姿を思う。もうこれセット。

ただの脳内イメージ。

 

それと、あまりに多くのアレンジがあるスタンダードと呼ばれる曲たちですが、何の曲だったっけ?とかけ離れたアドリブになると自分はあまり好みでありません。そういうときは、どこいっちゃうのSmileとか、俺Smileとか自分の中でサブタイトルをつけて聞いたりしてます。そういう言う人は確固たるオリジナリティなんだな、それかナルシシズムを感じます。それはそれでよし。