絶対そうにちがいない

今日の出来事。

いろんな考えが交錯するけど…

清瀬市某所から→赤羽駅周辺までチャリ移動決行の日。

所要時間→片道約1.5h

使うもの→体力とチャリの寿命。

チャリ移動は、40分を超えてくると個人的には結構遠い。電車代は往復800えんくらいになってくるとなんか考える…(常習的なものとして)。時間はタイムイズマネーというほどであるから、趣味の範囲にてそれにそこをかけるなら、と引き合いに出すことあり。

断念する日もあるけど、今日は決行したので変なオリジナル体験2つを記しておく。

一つ目は、ノスタルジーの超え方

その道中には、かつて住んでいた成増を通ることになっていた。以前より、思い出のある土地をまた通るとかにはある程度構えが必要な性格なため通る際には注意が必要。。異性がらみが多いかもしれない。それで、そこを通らねばならないのなら、現代との架け橋である音に助けを乞う。ちょっと不思議な感覚、目は懐かしいと神経に伝わっているけど、耳は現代をいく。特に、当時は知り得もしなかった題材で。この音の繋がりがなかったら、ノスタルジックに浸りすぎておちぶれるんじゃないかと思うバランス。こんな時は、時間はあってないようなものとうすら感じる。

 

二つ目は、デジャヴュ的な、なんか。

たぶん、初めて通ったけどなんか気になる歩道橋。階段を上っているときにふとその感覚に気が付いた。何か後で記しておくことになると思って、iPhoneのカメラに記憶した。その時ちょうど、重なっていた線路に電車が通る。以前より、歩道橋や、立体道路、電車にも(電ちゃんなのかな?)懐かしさと惹かれるものがある。記憶にハッキリ残るところには、美女木JCTのバイパス上の歩道橋、下からバイパス、歩道橋、外環、首都高…とまあ確か七段くらいになっていたはず。

 

それで

そのあと、自転車を再び漕いでいるとすぐ、突然呼吸が楽になることにすぐに気が付いた、こんなのは久しぶり。姿勢がよくなったのか?と同時に歩道橋から飛び降りたっぽいな。。。

 

その感覚だけ

 

急に降り注いできた感覚。それ以外考えられなくなった。間違いない。

前世に飛び降りて死んだ。それで、現世で常にある死にたい欲は歩道橋からきてあるもので今回でなんとか成仏させてあげたい思いであり、今回ももし勢い余って自害したならまた、やり直しになる…!もうやりたくないのである。

それで急に楽になった気がした。とても、不思議な感覚だ。

 

何かの記事の影響なのかな

でも、しんでしまいたいなんて、100人に100人思っていることではないことが知らなかったというくらい、若いころから思っていることだったりして、、ほんとにそう思うならとっくにしていることだったりして、だからそうしないのは、生きていたいから、と生きている理由をつねに探しているということなのだということらしい。

今回、生きているだけでも何かを乗り越えられるのなら、よくばらずに生きていてあげたい、、のかも。

チャリは往復3時間という体力で膝崩壊するかと思うほど痛かった。チャリはたぶん無事、優秀なママチャリ。