続・木さんの連絡網

木は根っこで連絡を取り合っている。

 

先日、連絡網がうまくいってないんだ、、ってことは「そこ」じゃないんだな

って思いかけていたら、やっぱり「そこ」だった。

 

ケヤキさんとクワの木さんの連絡網。

これだわ。

表面で見えているサワサワ木の葉、それ以上に踏ん張っている根っこ。

点と点が繋がって導かれるそのとき。

 

今の住まいの隣にギャラリーがあるのだけどわりと盛り上がってるけど外から通りかかって、見たいと思う展示が一度もなかった。この最後になるこの時期に、あら、素敵そう。っていう写真展がやってた。イレギュラーな期間とのこと。

そう、人は終わりになりそうになると色々な感性が開きまくるのである。

その写真家さんが言った一言が良かったのでここに記しておこう。

 

「なんでも言い過ぎはよくない…」

アナログとデジタルについて話していたところデジタルで細部まできれいに表現された写真について、の一説。

展示の全体像としては個人的な発端ではあったからその場合気になる人口は限られると思うけど、気になった人には胸打つ企画かな~と、、私からしてもその中で目をひいた一枚は、表現者からとっても大切な一枚だった。それが、言葉じゃない会話。

 

さて、私は、ケヤキさんの根っこの連絡網をたどって桑の木さんのところへお引越しします。まるで籠る時期のよう。住まいを変えるにあたり何がしたいか追い詰めて考えたりもして、1年間、蛹の時期として計画を練る。はず。

年をとってきて変化についていくのがなかなか体力を奪われるようになったわあ。

 

しかし、いいタイミングで推し先輩が

「さなぎ」って歌と、

「唾の味」っていう曲を選択してくれたのである。

まるで応援歌のよう。

そしてそれはたくさんの人の応援歌でもあって、きっと私やたくさんの人も今、このときが踏ん張り時っていうことでやっているのかも

てな、大変なのはひとりじゃない、だが脇役でも大変なのはもうやりたくないなあー。

 

お蚕さんで言えば、私も知ってる。繭は成虫になったらうまく飛べないし口が退化していて何も食べず繁殖だけして死ぬことを。蛹の間に茹でられて搾取されてしまうんだ。

だから、自由に飛ぶんだって、蚕さんを空の色にして入れ墨したの私です…。

たしかにその時の気持ちは守られているなあ。

 

 

それから、この地で学んだことは、大きな収穫だったと思う。

確立。