ひと漕ぎひと漕ぎ

自分で決めてきた予定だけど、

自分で決めてきたみちだけど、、疲れすぎた。

 

今日の朝はもう泣けてきた

ちょっと珍しい感情。

人と協力して作り上げていく創作物。

そんな人様の素敵な経験の話を聞いていた

寂しいでもなく、辛いでもなく、羨ましいとは少し思うけど

テンション上がりすぎてたってわけでもなく。

 

2023年9月28日。

いよいよ新しい仕事の道具(共に歩んでく友達とでもいうのかな)が届いた、記念の日。宅配便で一週間前に届くはずだったこのものたちは、今日、このタイミングで手元にきた。

その見た目は思ってたよりもコンパクトで期待ができ、

思ってたよりももっと綺麗だったし

とても優しい感じ。

不在票に気づかず、お師匠から電話をもらったのが立山の山に囲まれたあの場所だったことが不思議だった。(その瞬間山の色に石木がとぶ)

 

わたしの性格はどう考えても群れをなすことごできない

1人で決める、行動する、自分の心に従う

 

 

どきどき寂しくなるけれど

だれかの分までまだ背負う力がないのかもしれないけど

1人で向かえる強さがあるんだって信じて進んでいきたい

だけど疲れる。そんな合間の日…。

AI君、アルゴリズムと記憶

以前からはなしていることだけど、

こういう現象はみんなにもあるのかな

 

「ちょうど今それ考えてた!」現象。

シンクロ。

シンパシー。

 

それが全てじゃないって思うよう、信じすぎないようにする

それが正解か、それを信じないと進めないのか

それも狭間にいる気がする

 

情報量としては多すぎるから何かしら、誰かとしら、重なることがあるのかな、

と、最近のシンクロについてはそう収めているところがあるのだけど…

 

今日、先輩のラジオを聞いていて、雀の言語の描写が、一昨日によくよく観察していた自分の雀の描写に近くて、あれデジャビュかなとか

それは推しとかおねつになってるからじゃなくて身近な人ともなぜSNSをとおして、

今日それについて考えていたからそういうお店にいた、

そしたらその友達はすでにおなじことをやっていた

わたしとしては突発的なことでなくて想っていていまやったことだから、大事な一部であることは間違いもなく

でも、

生き物好きだからそういうタイミングは多くて、それを好きな人と重ねるのは自分都合かもしれないし、、だけどもちろん響かないネタは共鳴しないわけで

半々くらいにあるかもしれない現象…

 

どっちが本当なんだろう

もしくは文明の利器がなくてもそう思考していたのが歴史のなのか

狭間が融合して当たり前になったら、この機会と脳みそは一体化しているのかもしれないなあ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絶対そうにちがいない

今日の出来事。

いろんな考えが交錯するけど…

清瀬市某所から→赤羽駅周辺までチャリ移動決行の日。

所要時間→片道約1.5h

使うもの→体力とチャリの寿命。

チャリ移動は、40分を超えてくると個人的には結構遠い。電車代は往復800えんくらいになってくるとなんか考える…(常習的なものとして)。時間はタイムイズマネーというほどであるから、趣味の範囲にてそれにそこをかけるなら、と引き合いに出すことあり。

断念する日もあるけど、今日は決行したので変なオリジナル体験2つを記しておく。

一つ目は、ノスタルジーの超え方

その道中には、かつて住んでいた成増を通ることになっていた。以前より、思い出のある土地をまた通るとかにはある程度構えが必要な性格なため通る際には注意が必要。。異性がらみが多いかもしれない。それで、そこを通らねばならないのなら、現代との架け橋である音に助けを乞う。ちょっと不思議な感覚、目は懐かしいと神経に伝わっているけど、耳は現代をいく。特に、当時は知り得もしなかった題材で。この音の繋がりがなかったら、ノスタルジックに浸りすぎておちぶれるんじゃないかと思うバランス。こんな時は、時間はあってないようなものとうすら感じる。

 

二つ目は、デジャヴュ的な、なんか。

たぶん、初めて通ったけどなんか気になる歩道橋。階段を上っているときにふとその感覚に気が付いた。何か後で記しておくことになると思って、iPhoneのカメラに記憶した。その時ちょうど、重なっていた線路に電車が通る。以前より、歩道橋や、立体道路、電車にも(電ちゃんなのかな?)懐かしさと惹かれるものがある。記憶にハッキリ残るところには、美女木JCTのバイパス上の歩道橋、下からバイパス、歩道橋、外環、首都高…とまあ確か七段くらいになっていたはず。

 

それで

そのあと、自転車を再び漕いでいるとすぐ、突然呼吸が楽になることにすぐに気が付いた、こんなのは久しぶり。姿勢がよくなったのか?と同時に歩道橋から飛び降りたっぽいな。。。

 

その感覚だけ

 

急に降り注いできた感覚。それ以外考えられなくなった。間違いない。

前世に飛び降りて死んだ。それで、現世で常にある死にたい欲は歩道橋からきてあるもので今回でなんとか成仏させてあげたい思いであり、今回ももし勢い余って自害したならまた、やり直しになる…!もうやりたくないのである。

それで急に楽になった気がした。とても、不思議な感覚だ。

 

何かの記事の影響なのかな

でも、しんでしまいたいなんて、100人に100人思っていることではないことが知らなかったというくらい、若いころから思っていることだったりして、、ほんとにそう思うならとっくにしていることだったりして、だからそうしないのは、生きていたいから、と生きている理由をつねに探しているということなのだということらしい。

今回、生きているだけでも何かを乗り越えられるのなら、よくばらずに生きていてあげたい、、のかも。

チャリは往復3時間という体力で膝崩壊するかと思うほど痛かった。チャリはたぶん無事、優秀なママチャリ。

 

 

物語島

ナラティブ。

 

非常勤で働いている事務所に今度それらしき催しがある。ナラティブって、造語?くらいの全くの無知。

内容は、お話し合い、くらいのもの。普段、忙しくて業務で話せないことが多い中、こんなこと考えて仕事してたんだ!趣味は◯◯なんだ〜!っとコミュニケーションしましょう、など。

だけどなんとなく気になったのは、

これはセラピーではないか。って話させて自分で気づかせる。ナラティブセラピーが存在するしている。

 

ちょうど2ヶ月前、私が勉強を始めたカラーセラピー。だから琴線に触れたのであるけど、カラーを通して刺激し話の突破口をさがす、或いは探させる 間にトピックがあるかないかなんだな。

(ここでその道具たちを30万かけて買うのに勇気がいるようになる)

 

そもそも、セラピーという言葉をあまり理解していなく、癒しの部分しか見えてなかったように思う。

セラピストというにはまだスタートラインに立ったばかりのとこだけど、その意味を間違えないように進んでいきたい。

今、イルカ、物語島に寄ってるとこなのである!

 

先週は調子が悪かったというのか、よい兆しの前なのか、、

久しぶりに従妹と会ったのだけれど、彼女は小さいころが不思議なちからがあって、

私のわかる範囲で言うと、たぶんエンパス気質みたいな、見える人というか、本人曰くグレーゾーンの人なのだとか。

なんとなく、重なる部分もあるなと思ってはいたけどなんか自覚しちゃいけない気もしていた。

久しぶりに会うのにスパへ行くことに。久しぶりに会うのに、すぐ裸のつきあい。

なんかはずかしいなあ~と思いつつだんだん慣れてきて少しずつ話すように。

「スターシード」

そう言われてもピンとこないけど、内容を知ると合点がいくところもあり。

普通の人は、ご飯を選ぶときに写真を見て決めるんだって。

普通の人は、つらそうな人の話を聞くだけができるんだって。

ほお、、

さいころから何で生きている意味がわからない

行動がおかしい、変わってる、みんなといても孤独感がぬけない、

そうだ、学生時代怪奇な行動に出たくなってたのは○○しなきゃいけない。したくないの反動だったように思う。今はしなくなったのは落ち着いたわけじゃない。個性で生きられているからだ。俗世に長くいると不機嫌になってくる。

 

そういえば、調子がいいときは、だいたい宇宙にいる。

考えすぎかなあ。

目に見えないものの表し方って難しい。

 

昨日、推しさんのラジオを聞いてたら(高齢者)老人のいうことはすごい、みたいなこと言ってた わたしも同じことを先週

思いやすい環境にはいるけれど、こえにだしたのは久しぶり。

久しぶりな人と、ちょっと恥ずかしいシチュエーションしたことありますか?の先日の問いかけを思いだした。

それから、侘び寂びのこと。

ほかにも近距離で、それこの前やった!の行動、言動、心の動き

これだけシンクロが起きるなんてどうかしてる

偶然だなんて。

これはあと信じるしかないような状態。信じたら、それが現実になる。

ハッシュタグ『小さいリンクを見つけよう委員会』

表題のことは、何年も前からやってるのですがそれは

「偶然の一致」が起きた出来事をハッシュタグにまとめている勝手な委員会なのである。

(委員会としては他に、『パンジー顔にしか見えない委員会』がある)

 

それは、スコトーマという現象とも似てると言うらしいのだけど

要は、普段から周りにあったことは気づかなかっただけで自分が気にしだしてから、同じものが目につくようになって、あたかも身の回りで不思議が起きてるんじゃないか?っていう錯覚…。

 

今朝は、こんなことがあった。

目覚めて、iPhoneの画面をみると、クリムトの動画が。

 

https://watch.amazon.co.jp/detail?gti=amzn1.dv.gti.74b75f92-5b83-cfa0-486b-208084db6caa&territory=JP&ref_=share_ios_movie&r=web

 

クリムトは気にし出すと、街のあちこちに見かけるようになる。興味が無かっただけで、気にするとかなり多くあるのである。

 

昨日観てたんだなあ〜っと記憶が曖昧な1日の始まり。

それとは別でここ1週間くらいではベートーヴェンのシンフォニー5番を繰り返し聴くのが日課。それはどこの楽団のものか、指揮者がいいかなあ〜と聴き比べるのが楽しみ。

ざっくりと世界のオケ団体ってどんなのがあったのかなと調べていると、日本のオケではその民族的なメロディからドボルザーク交響曲9番がなかなか涙を誘う、などという記事が目について、

ドボルザークの概要を思い出すのにそこから手持ちの音楽作曲者ガイドを開く。

ついでにベートーヴェンのページも読み直しとこって思ったら、同じページにクリムトの”ベートーヴェンフリース”が目に留まる。

全く知識がなかったのでベートーヴェンクリムトが繋がることがあるのかと不思議に思って、何故昨日徐にクリムトの動画をみようと思ったのが不思議になってくる。

わかる人にはわかりそうな、当たり前なつながりなのかもだけれど、その導かれ方に偶然的な、何かのメッセージを感じてしまう。

 

今のところ何もないのだけど。

今は、情報過多な世の中だから、昔よりもさらにその、一致がおこりやすくて

最近やけに多いなって思っている。

スコトーマかもしれないけれど、何もないかもしれなのだけど、

でもどこかでメッセ―ジを受け取ったと思いたい、、そんな妄想の癖がクルクルします。信じて目指すことは、いずれ、本当になるのだと。

まだまだ赤が足りない4月16日

4/4の出来事と感じたことを今から書く。この思いは書き留めとかないと!っと思ってから2週間じゃ。そして、同じ思いをずっと心に留めて、思いだしてはうっとりしてたから、

 

変態なのかな。いや、余韻が長いとか、いい波動なのかも。

 

何しろ、私の思いは言葉になるまで(表に出てくるまですごく奥の方にあって、それはもうほんとにおなかの奥の方。さらに上ってきては心でブロックされ喉に蓋があるように)なかなか出てきません。それで、とりあえず形にしようとしてこのブログに書いているわけなのですけれども、

先日レッドがまったくない自分に気づいてから赤を取り入れようとするもやはり、こんな部分で、まだまだレッドが足りないのです。おーい瞬発力!!

 

それで、話しはこのことです

その日は零落ナイトっていうイベントだったのですが。

映画とはあまり関係のないことを書く。音楽から感じるオリジナル分析。わくわく。

 

その日は、映画にまつわるmusicianということで3バンドでてきたかな

仕事だったのでいい場所がとれなかったけど、

 

1番目の人は良く知らなかったけど、歌上手で、お話しとかキャラもよかった。

私の友人なんかは、大橋くん好きになる前にここから入ったという人もいた。。私には全然届いてくれなかったんだが。

 

2番目はパラダイスさんね。ここから。

曲は何個か知っていたけど、生は初めて。おお、こんなお祭り騒ぎになるのか、と圧倒された部分もあるけど、いっぱい演奏してるだろうって曲とそうじゃない曲の差が…w、でもやっぱりこれだけ沸かせられるのってすごいよね。あれだけ動いての演奏もなんかよくできてたし、(わたし偉そう)バリサクのおじさんがきになったな 数年前に連れが、メンバーのひとりと仕事が一緒になって全然吹けてなかった、というエピソードが私の中に濃く残ってしまっていたけど、でもやっぱりいいんだよ 盛り上がってたし。

っていうのが、色で言えば人数が多い分、さまざまな色だったのよね。

だから、いろんな人にヒットするのだと思うし、いろんな色(音)はそれぞれのそのトーンを持った人と共鳴するから、それは自ずと響く人も増えるってことだ。

ある言葉で言えば、ポピュラーなのである。

音は、空気を震わせて伝ってくるし、波動というものがあるのだからそれはファンじゃなくたって、震えさせられるときは震える。同じ波動を持った同士。

 

それでいうところの

3番目のバンド。

波動は一色であった。

しまさんがステージに勢いよく出てきたときには、

「かっこいい…」

と、ひとめぼれしたほど。

 

波動が一色

音が整っている

バンドの方向性がきちんとしている

ピッチが整っている

 

そういうこと。

これは長くて歴史のあるバンドだし、そうでなければかなり優れた音の作り方であったよう。わからないけど、しまさんのカリスマ性で統合された部分もあるのでは。

逆を言うと、一色で整っているので、届く人にしか届かないバンドであると言えた。

ある言葉で言えば、個性的なバンド。

好きな人が、好き。

え、そんな風に演奏する?っていうパフォーマンスなのかな?て思ったら、音源だけ聴いているときは気づかなかったのだけど、よくきいたら結構激しくフレーズがなってた。メロディーが緩やかだったので気づかなかった、という言い訳…。

そういった意味で、音楽と映画はかなりマッチしていたんだ!っという天才的な作曲を感じたバンド様でありました。

惚れたのですよ。

 

というね、いろんな音のするバンドと、4人だけど一色を響かせるバンドがとても印象的でしたよ。

推しがいても気にくわない音楽だったら絶対帰ると思っていたのだけど、しまさんのおかげでよかったわ、音楽だけは、トータルプロデュースで感じOKっていうエンタメはいやだ。

 

それと余談だけど(メインなのに余談になる)この日も推し先輩が全身赤を着ていて、赤の足りない私にちょうど良かったんだけど、タイミングがよくて不思議に思った。

色々な客席を見回してくれる推しさん、遠かったけど目が何回も合った気がする!っていう勘違い☆とまあ、手を振ってみたかったな~と、呼んでみたかった。私の奥底にも赤がいつもいるのはわかっているのだ。てな赤的瞬発力で表現をできるようになりたいものだ。

それなら推し先輩、赤を掲げて先導してほしい~。