教授
何曲かピアノ譜になったものをさらったことがあるけれども、
それは教授が全然監修してなかったものかもしれないし、ピアノをやめてしまって結構経つのでよく覚えてないから、ずっとそのままになってた、、
よくわからんな。
それは今聴いたとしても、???っとなる展開があるのだけど、
この映画をみて、まさにこのリンクのシーン、森の中で音をきいて、音楽にしていくシーンで、「あ、、そうなのか!」と、やっと理解して。その後からの音作りの仕方では、音が見つかったときすべて一緒に笑顔になれてたし、想いのこもった、何が好きか、言いたいことは、、それはほんの一部かもしれないけれども、もう、すべての曲を受け入れられるようになった。譜面から読み取れていたらよかったけれども、
なんてことだ。
それに教授のことが大好きになってしまったし、
偏見だが、政治のことや環境問題と混同している部分で亡くなってからそういった批評も心を痛めるところがあったけれども、バッハのことを話しているシーンのところで、むしろそうじゃない表現者っていないんじゃないかって思って。題材は色々あるに決まっているけれども。
一音一音に込めて音を作っていって、この映画の最後に流れた教授のコラールはほんとに一音一音かみしめて聞くことができていた。
何しろ、純粋だし、YMOのときからあのメンバーの人たちはほんとに音楽が好きで、いいひとたちでただ、それだけなんだなって思いました…。
これだけ好きに音楽を作ることが出来たら最高なのだけど、この方法や感じ方はいつも持っていたいなって、定期的にみたい映画だなっと思っています。
魂と音が直結している状態の”何か”を思いだすために、ですね。
教授…ありがとう…(´;ω;`)ウゥゥ
亡くして初めて気づく私の哀れさ。
ああああと、なかなか行けなかった映画館、シネマ・チュプキさんでこちらの映画を最高の音質でちゃんとみられたことは幸せでした。
出会うタイミングで出会う映画というもの…おそるべし。
音と映像と、その奥にある見えないけど訴えてくる何かを感じ取るべく映像美術というこの手法は、今の私になってようやく受け入れられる高等な表現方法なのだと思う、若いうちにはまらなくてある意味良かった、、。
パワーストーンをかけているつっぱり棒が夜中に落っこちたら
すんごいびっくりして目が覚めた。
おまけに夜中だったので、寝ぼけてて、誰かが通ったに違いない、と思ってすんごいこわかった。
現実を探すにはスマホでなんか現実的なものをみる、か…
手に取って画面を見ると、3:33
わあああああ…!(余計にこわい)
そしてちょうどでてきた、たくちゃんねる、、
やはり推し先輩の動画で癒されるしかない、しかもトイレットペーパー積むやつ。
今は明けて緑輝かしい光の日中の14時。
昨夜のはエンジェルナンバーだな、と思い返すことにした。
上の方が通ったのよね。
アセンテッドマスターとは???
333のエンジェルナンバーを夜中に見る本当の意味は?どんな前兆? - マリアの幸福レシピ (marianna-tama.jp)
3/8 新しい島
今日から島に向けて泳ぎますイルカです。
ここのところの予定を詰めてしまって、気を抜くと今から頭がパンクしそう、でも足元をみて地道にいけばなんとかなる。ストレスからか朝どうしたらいいかわからなくなって朝からワインをガブガブ。なぜならそこにワインがあったから。おいおい、というかんじですが、
今から行ってきます。
先輩の新作も今日トレーラー発表され!
秋分の日かな
前回の日記から実に2か月!!
そりゃ、まあ、怒涛だっただわよう。
引っ越しは、大変だろうなあ…と思ってた以上に大変で
引っ越し先は思っていたより変な場所で(期待がなかったのですべてがプラス)
と、いうことで、まあまあまあまあなじんできたところ。
引っ越し当初から、仕事のスケジュールがつまるであろうと思っていたから今
無呼吸クロールみたいなところにいる。
私は、そう蛹の時期だとここにきたわけだけど
だから「納得」する場所に根を下ろしたく
でもはっきり言ってそれをするには実力もお金も覚悟もなく今に至るわけで
今、その「島」をめざしてやれるのかやれないのか
かなりの瀬戸際にいる模様。。
まるでわからん。
推しの先輩が悩み相談をクローズな場所に開設。
手紙のレスポンスかなと勝手に思い込んで、(それが勘違いの幸せ!)
相談してみようかなあ…と思いとどまる日々。
そいや
イルカに会いに壱岐に行きたいと言っていた時期もあったなあ…
続・木さんの連絡網
木は根っこで連絡を取り合っている。
先日、連絡網がうまくいってないんだ、、ってことは「そこ」じゃないんだな
って思いかけていたら、やっぱり「そこ」だった。
ケヤキさんとクワの木さんの連絡網。
これだわ。
表面で見えているサワサワ木の葉、それ以上に踏ん張っている根っこ。
点と点が繋がって導かれるそのとき。
今の住まいの隣にギャラリーがあるのだけどわりと盛り上がってるけど外から通りかかって、見たいと思う展示が一度もなかった。この最後になるこの時期に、あら、素敵そう。っていう写真展がやってた。イレギュラーな期間とのこと。
そう、人は終わりになりそうになると色々な感性が開きまくるのである。
その写真家さんが言った一言が良かったのでここに記しておこう。
「なんでも言い過ぎはよくない…」
アナログとデジタルについて話していたところデジタルで細部まできれいに表現された写真について、の一説。
展示の全体像としては個人的な発端ではあったからその場合気になる人口は限られると思うけど、気になった人には胸打つ企画かな~と、、私からしてもその中で目をひいた一枚は、表現者からとっても大切な一枚だった。それが、言葉じゃない会話。
さて、私は、ケヤキさんの根っこの連絡網をたどって桑の木さんのところへお引越しします。まるで籠る時期のよう。住まいを変えるにあたり何がしたいか追い詰めて考えたりもして、1年間、蛹の時期として計画を練る。はず。
年をとってきて変化についていくのがなかなか体力を奪われるようになったわあ。
しかし、いいタイミングで推し先輩が
「さなぎ」って歌と、
「唾の味」っていう曲を選択してくれたのである。
まるで応援歌のよう。
そしてそれはたくさんの人の応援歌でもあって、きっと私やたくさんの人も今、このときが踏ん張り時っていうことでやっているのかも
てな、大変なのはひとりじゃない、だが脇役でも大変なのはもうやりたくないなあー。
お蚕さんで言えば、私も知ってる。繭は成虫になったらうまく飛べないし口が退化していて何も食べず繁殖だけして死ぬことを。蛹の間に茹でられて搾取されてしまうんだ。
だから、自由に飛ぶんだって、蚕さんを空の色にして入れ墨したの私です…。
たしかにその時の気持ちは守られているなあ。
それから、この地で学んだことは、大きな収穫だったと思う。
確立。