おもちゃのCHA-CHA-CHA


ラジオから聞こえたこのタイトルの言葉はそう、好きな人の行動って自分が休んでいるときは相手も休んでいてほしい(だろうと思っている)、だけど実は眠っているときに動き出すおもちゃのちゃちゃちゃ。例えうまい。。だけど違った!っていうときに悲しさだかさみしさだかある。

 

今日も推し先輩が元気で、制作活動できていたらよいなあ、、と思っています。

 

一人で制作していることも多いし、考え方に共感されることもほとんどないし

だれかが代弁してくれた音楽や、たまたまみつけたSNSの記事になんとか孤独を助けられているのだけど、そうするとだんだん電子機器をみることがおおくなってて、そして次に触ることも見ることもしんどくなる時間帯がやってきます。これいつも決まってやってくる。

それで何で満たされるかわからなくなって本出む読むかぁ、(物質に触れたくなる)となって読みかけのやつをちょうど開いて、いまなるほど心に響いているトピックがあるのでちょこっと書いておこうかなって思いましたイカを追うイルカです。

 

その本はまだ序盤でひらいた章には
「地球全体を一個の有機的生命体と考えると」ということが前提となると
人や生命体は地球の細胞と考えるとする…。
だから一人一人の行動は地球にかかわることなんだと。
共感する部分はあるのですぐに読み始められた。
よくないことはそれは風邪と一緒で毒だしをする期間が必然的にやってくるのである。
それは地球のタイミングで。さらに言えば地球を一つとした宇宙という生命体もあるのかなあ。
さらにその先…。


ひと段落して電子機器に戻ったら、AIについての記事に出くわしたので合わせてちょうど考えられたから書いておこうー。
その記事はインフォデミックという言葉から始まっていたのだけど。これは造語で、、
私は昭和の人なので写真を写真として見ていた期間もあるのだけど、
現像されたものは限られてるから残っていること以外に葬られた記憶がちゃんとある
逆をいうと現代は残されていく記録としての写真が多く忘却をできない環境が作られてて
忘却があるから生きていける部分もあるのにってことが書いてあり、
それはまた、ネット上に残していくことが我々の情報提供であり、またそれが世の中を作っていっていることである、と。思い出が情報提供…!
プロの情報もあっていることも偏ったことも何もかも同じ線上で情報が手元に近くに入りやすい状態であり
それはこの3年間の間にかなり進んでしまったのではないかと

地球を一個の有機的生命体と考えると
此のことってはたして地球にとっていいことなのか?
我々、人、動物も含め、細胞同士の意思伝達がこのようなかたちのシナプスで繋がっていく状態は進歩なのかしらと
ウイルスが蔓延した後には戦争が起きることが歴史的に決まった流れだとどこかで読んだ
それ以前にも戦争をずっとやっている地域もある これらは地球で言うところの毒だしなのかしら

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推し先輩が「建付け上、主役」の映画が公開になったー。
その前から自然にも不自然にも繰り返す言葉があってそれってその先をみてるのかなあ、って
不安になることがあるのだけども

その映画は公開が1年見送りになったり、誰もが大ヒットを予測できただろう配役や脚本や監督、
その上に呆れそうになるほどのプロモーション、、言わずもがなもとより多方面からのファンが大勢いただろうに
動員数は数日で100万人を超えて、いわばその数の人間と共通の話題ができるっていう状況
そんな中、作品の宣伝にかけて主役の人となりがフューチャーされて
これが


こうなることだったのか
それで、逆を言えばこう大きく拡散されることが決まっているものに載せて繰り返し広まってほしい言葉をつぶやきつづけたら
AIにそれを訴えていくことができるから、ちゃんと世の中を回していくことができるんじゃないかなって
ちゃんとした人が進んでいってくれれば、悪いことばかりのデジタルばかりじゃないのかなって

とかつってそんなこと関係なしに作品が作品として不安も全部かき消してくれるはず

そうこれは単なる偶然であり必然で、誰かが操ってるわけじゃなくて、地球が向かうところ、
ちゃんと生物が幸せになる方向に軌道修正して、


あの神田川がきれいになる日もきて


幸せな人があふれる日々になるんだって、、思いながら私も細胞の一部として生きて行くのだろう…と思っているのです。


…はあー笑。

そいえば、おもちゃみたいなネックレス作ったなぁ今日。